密陀彩色

密陀彩色(みつださいしき)

密陀彩色は、桐油や荏胡麻油などを乾性油に加工する際、乾燥材として密陀僧(一酸化鉛)を入れることから密陀彩色と呼ばれています。


密陀僧は、飛鳥時代にトルコ・敦煌などを経て我が国に初めて伝来されました。750年頃には密陀絵の乾燥剤として、主に工芸技術として使用されていたと伝わっています。


「蒔絵」「密陀絵」「漆絵」「箔絵」と称されますが、漆に顔料を練り込み描く「漆絵」は黒・朱・黄・緑・褐色の5色に限定されます。一方、漆では白色・中間色が発色されないため、乾性油・密陀僧・顔料を練りこんだ「密陀絵」が多用されました。


建造物へ密陀油を使用する理由は諸説ありますが、漆の代用・流行・膠彩色との耐久性などと考えられています。


文献記録では1690年、日光東照宮陽明門大羽目唐油蒔絵、東西透塀長押亀甲花菱紋様に「唐油」として登場します。


現在まで連綿と引き継がれてきた、密陀彩色を施した建造物は国内でも希少です。チャン塗の単色塗とは異なり、漆塗金箔押面の上に彩色するため、油の粘度・色艶・乾き具合など高精度に精製された油が求められます。


一般的に古建築の彩色の固着剤には膠(にかわ)が使われますが、この乾性油を使った彩色では膠彩色にはない耐水性が得られます。


元来、中国から伝わった技法のため、江戸時代には中国の桐油を使用していました。そのため、日光では唐油(とうゆ)彩色ともいわれています。